2008.06.22

時々

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2005.03.07

先立つ貴女に・・・

憶えてる?
二人であの小島に行った日のこと・・・

朝早くおきて私たちは冷ご飯でおにぎりをつくりましたね。
おかずは・・と・・鍋の中の魚の煮たのを入れましたね。
でも不思議です。
あの時代・・器は何を使ったのでしょうか・・
憶えていないのです。

茶碗に冷ご飯を入れて、温かい茶粥を掛けて前日の残りの魚の煮つけをたべて出かけました。
そうそうアルマイトの水筒にお茶をいれそれをバスケットに入れましたね。

行ってはいけない! と祖父母からきつく言われていた小島
それに向かって歩き出しました。
対岸にあり不思議な形の小島・・・名はかるも(刈藻)
子供の頃は名前にも不思議を感じていましたね。

対岸だけどコの字型にまわらなければならない。
距離なら多分6キロ~7キロ
まだバスも通っていなかったよね。
その道を私たちは歩いて行ったのだよ。 凄いね。。

一生懸命歩いた。夏の日の中を・・・
背の高さを越える雑草・・鶯がすごく鳴いていましたね。
自転車で固められた細い道を歩いて行きましたね。

着いた時の喜び 
港から白砂の道が続いていて走って渡ったよね。二人で。。
柱の様な四角の岩がいくつもあって小山になっていて、海に向かう砂浜に浜昼顔が一杯咲いていたね。
走った、ほんの少し・・・だってすぐ一週できる小さな島だもの。
お昼を食べたね。 ・・・・・そして疲れた私たちは眠ってしまった。

何かを感じた。 足に・・・

満ちてきた潮が足に・・・驚いた。振り返った。
道が無い。白い道がない!

何故だろう
あの時、右手にバスケットを持ち、一才年下の貴女の手をひいて
どうしてバスケットを捨てなかったのだろう。
子供の頃て不思議だね~

肩まで海水に浸かると貴女は泣き出しました。
それを私は背負い手を首に巻き付けさせ、右手でバスケット
左手で貴女の足を押さえていました。
段々海は深くなり、ぴょんぴょん飛びながら、流されながら
もうダメだ!と思いました。

祖父母の顔が浮かびました。
私は泣きました。もう口を閉じても海水が入ってくると思いました。
その時ぴょんと下りたとき、あれ・・
三歩、四歩 確かに海は低く感じられました。

膝まで来たとき貴女を下ろし、私は涙をこらえて、泣く貴女の手をひいて歩きました。

確かにその時バスケットは持っていました。
なのに家に着いたときはありませんでしたね。

この事はずっと秘密で祖父母も知らずになくなりましたね。
貴女と私の秘密です。

なのに・・・貴女はそれをやめようとしています。
いや止めさされるのですね。

あれからずっと毎日泣いています。
貴女の事を思うと涙が出てしまうのです。
母が父が兄が・・その時より悲しいのは何故でしょうか。

思い出が語れなくなるから・・・それもあります。
貴女が好きだから・・・大好きです。
上手く生きられない貴女が大好きです。

お願い! ねぁ お願い 頑張って・・ね。ね。

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2004.12.07

母の最後の日

16年12月5日母の13回忌をしました。
それで母の最期の日の事を書きとめて置きたいと思います。

平成4年12月9日
昼時兄嫁から電話がありました。
「お母さん 急に具合が悪くなり病院に運んだけど、今はもう落ち着いているから心配ないよ」
一応知らせておくという内容でした。

母は日頃から心臓が悪くずっと薬も飲み40代の中ごろには、死線をさまよった事もありました。
当日は家の玄関を掃いていて急に胸が苦しくなり、そこで倒れるとまずいと思った母は
表まで這って出て近所の人に気づいてもらいます。
背をわれて救急車を待っているとき、午前の買い物から兄嫁がかえり一緒に病院に。
手当てを受けて母は楽になりましたが、少し入院することになりました。
丁度その病院には父が大腿骨の人工関節の手術で入院していました。

部屋は6人部屋、一番入り口が母のベットでした。
アルツハイマー2期の母は時々怪しい行動が見られました。
その時は、医師、看護婦、同室の患者、見舞いの人、等部屋に出入りする総ての人にいいました。
手を合わせながら・・・・
「私ほど幸せ物はありません。
3人の子供は皆元気、誰も明日の食べるのに困っている子はいません。
どこに行っても皆に親切にしてもらって、こんな良い人生はありません。感謝いたします」
それを聞いた人達は皆笑っていました。
特に医師は「おばあちゃん、まだ死ぬのとちゃうから・・・」と。。

その日の4時すぎ、兄嫁から2度目の電話
「容態急変 至急病院にきて!!」 悲鳴のような声
すぐには出られませんでした。 私には重度の心身障害の息子がいます。
それを見てくれる人を依頼し、家を出るときは7時も過ぎていました。
月がよどんだ黄色で鈍くひかり、私はなぜか「今日、母が死ぬ」と思いました。

到着したのが8時過ぎ、一度とまった心臓を人工呼吸で蘇生し、私たちの来るのを待っていてくれました。
医師は「もう何時間も前から腎臓が止まっています。まもなく・・・・」と話しました。
ベットの傍には兄、私、妹、 それに家族である兄嫁、内孫二人に囲まれていました。
特に内孫は「おばあちゃん、寝たらあかん。おばあちゃん起きて起きて!」て泣きながら話しかけています。
母は「うん。なに? なに?」返事しています。
私が声をかけると同じように「なに?・・」と目を閉じながら返事しました。
その状態が半時間ほど続いてから深い息を2度して永眠しました。
一度も下の世話もさせずに家族全部、娘二人を傍においての見事な最後でした。

それから日がたつにつれて母が残してくれた大きな遺産に気がつきました。
それは母が部屋に出入りした人達に言って言葉です。
「私ほど幸せ者はいない!」 これが私たち子供に残してくれた大きな財産です。
母が良い人生を送ったこと、そして母が幸せとと思ってくれていたこと。

思い残す事はなかったろうか・・・良い人生を送ってくれただろうか・・・等思わず済むのです。
聡明な母と、酒癖のわるい父 どんな接点で知り合い結婚したのかはしりません。
仲の良いときも喧嘩のときも知っています。
でも最後の「幸せでした・・・」これほど私たち子供達の心を軽くした言葉はありません。


「おかあちゃん ありがとう! 本当にありがとう!」 
私も貴方のように感謝して人生を終われるように毎日を生きて生きたいと思っています。
そして33回忌を元気に迎えたいと願っています。その時私は85歳になります。

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2004.11.08

団子(別冊)

image/saba1

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2004.11.05

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2004.02.29

ルーツ完結編 2

夫婦の間には二人の子供も(男女)授かり落ち着いた楽しい何年間が過ぎます。
上の子がもう小学校入学という年齢になったとき、最後の不幸が
母屋を襲い、閉塞することになります。

その日は夏祭りでした。
家族4人は夕食を摂り、揃って隣村の神社の本社までおしゃれをして出かけます。
留守は せーたんとはぅやん の年寄り夫婦です。

嫁、子供たちは浴衣をきて、楽しそうに馬道を通って村出入り口までやってまいります。
そこから隣村に続く道に入ります。

神社近く、灯りが見え夜店のにぎわいが聞こえて参ります。

その時!
人だかりがありました。

       「けんかやぁ~  けんかやぁ~」

彼は人だかりを分けて近づきます。
若い男達が突っ組あいをしています。
中に村の若者が混じっていました。
それを見て

       「やめよ! やめよ! 今日は祭りやないか!」

  分けに入ります。


その時です。
分けに入った彼の脇腹に刃物が・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出血多量  病院に運ばれるまでに彼は家族の前で事絶ます。


葬式が出されそして一周忌がまいります。

その時、嫁が言いました。

  今日かぎり、実家に帰らせて頂きます。
  殺し殺されの因縁が恐ろしいです。
  今後一切の行き来をしません。
  子供の養育もこちらでします。
  私たちの事、あの時一緒に死んだと思って下さい。

この言葉を残して子供を連れ嫁は都会の実家に戻りました。
年寄り夫婦は頷き、幸せになってやぁ~と送り出しました。
彼女の希望通り、親戚から誰一人訪ねずに今日まで来ております。


私の祖父が母屋の次男であった時代は4人の男兄弟、一人が死に3人が所帯を持ちましたと
書きましたが嫁は兄弟二人と結婚し、私の祖父のみ新家を持ちました。
その次の代は3人男子に恵まれながら二人に戦死され帰還した息子も人の手に掛かってなくなり
母屋は死に絶えました。

ルーツを書いていると死んだ人が急に私の身辺で動き出します。

晩年の嫁の”はぅやん”は中風で右手が小刻みに震えており、「来たんかぇ~、ゆっくり遊んでいきなぁ~」
陽溜まりの縁側でいつも変わらぬ優しい笑顔で話してくれました。

しゃも(喧嘩鶏)を見るといつも”せーたん”を思い出します。
母屋の二階に疎開していた私に”せーたん”は竹の篭にいれて一羽くれました。
毎日青菜を刻み糠をかけ、水を入れてまぜます。その横で”せーたん”は貝殻を細かく砕いてくれます。
しゃもは喧嘩をさせて鳴くと負けで、二度と戦う事をしません。
負けた鶏はすぐにつぶされます。
それがいやで喧嘩をさせずにずっと飼っていましたが、今思い出すと落ちこぼれの雛だった気がします(笑)

私は今、二人の年齢になりました。
どんな思いであのつらい時を過ごしたのだろうか?
そんな事が気になってしかたありません。

今、私たちの代で従兄弟会をすると私が一番年上で、男は全部死んでいます。
私の祖父も男子3人おりながら総て自分より早く亡くしております。男子の弱い家系です。

長い拙い文書にお付き合い頂きありがとうございます。
覚え書きで私の後に続く人に伝えたいと思って書き残しました。
機会があれば修正しながら読みやすい文章にしてまいります。

有難うさんでごぜえました。。。。ですぅ。。。。

 

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ルーツ完結編 1

風邪をひきました。まぁ~あなた  それが10年ぶりのひどーーい有様でパソを触るどころか
身体の持って行き所がなく、四日間は起きあがれませんでした。
よく ”アホは風邪ひかん” ていいますけどあれは嘘ですわぁ。
そう言えばあの有名な浪速の アホのおっちゃんも、えらい風邪ひいた事ありましたわ。

遅なりましたがぼちぼち書きはじめますぅ。
元々文章の拙い私、まだ頭は菌に犯されてますので・・・そのつもりで。。。。。。

終戦からしばらくして三男が帰って参ります。
まぁ一人でも無事に帰ってくれてこれで家は安泰やと、親戚中もほっと致します。
所がです。
小さいときから日本の国のため、日本国民の為、命を捧げてでも守る、という教育を受けて育っています。
志願して兵隊になり終戦。
自分の価値観は全部間違っていた。それを急に変えろと言っても無理な話・・・・

我が親戚中にはこんな若者が多かったです。
父方の親戚にも何人も生きた亡霊の若者がいました。
身体をふわふわと浮かしながら目は濁り、特攻のマントの勇姿から想像も出来ない人の抜け殻でした。

さて彼はというと、口も滅多に開かず、一日中酒におぼれ、ヒロポン(当時の覚醒剤)を打ちと
荒れた生活を送ります。その内 家にも帰らない日が多くなります。

周りは心配しますが戦争の傷は誰もいやしてやれません。


そうこうしている内に大きな事件が起きます。
当時私は小学生(戦後の新制小学校の一期生です)この事件は大きくなるまで知りませんでした。
それだけ伏せられていました。
事件と言うのは

彼が酒を飲み刃物で人を殺めたのです。

親戚中がひっくり返る出来事でした。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

何か事情があったのでしょう。彼は裁判を受け執行猶予で服役せずに済んでいます。
しかし何と言っても人の命を奪ったのです。
戦争とは違います・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

だが、この事件から彼は立ち直ります。
何が大切で何を守らなければならないのか・・・生きる目標をとり戻すこととなります。

家業に精を出し、労を惜しまず人の為に役に立とうと致します。
戦死して年寄りばかりになった家の農業の手伝いから、村の行事の手伝い、
困ったという声を聞くとどこまでも手伝いに行きました。

自分の罪を人に喜んでもらうことで少しでもお詫びをしたいと思ったのでしょう。

何年も重ね若かった彼も三十路入り、村では無くてなならない大切な人となりました。

そんな彼を見込み嫁をと世話する人が出て参ります。
何事にも控えめで真面目な両親は、とてもとてもと遠慮しますが、無理矢理世話人は見合いをさせます。
人に信望を集める様になった彼は逞しい男となり、元々男前であった彼を気に入り嫁が来ることになります。
それが市内の娘で片田舎の村にはまさか・・・それに大きな消えない罪を犯している。
親戚中がそう思っていましたのに。。。

彼女は大柄な明るい人で何よりも周りを驚かせたのは看護婦であることでした。
今もそうですが(今は近くに市民病院が出来ています)無医村です。
昭和20年代後半、そんな所に看護婦がくる、これだけでも村人にとっては大きな喜びでした。

家中では笑い声が絶えず、人の訪れも多くなり、医師と連絡をとり看護婦の嫁は
今の保健婦のような事をして村人達の役に立ちます。

二人で村の事に一生懸命、皆に喜ばれる夫婦となります。

                             ちょっと長くなりました。
                             二部にわけます。
                             まだ回復が本格的と違いますので休憩します。

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2004.02.23

ルーツ7

間違って嫁にもらわれ三日目にやっと夫婦となり、何とか穏やかな暮らしができ子宝にも恵まれ・・・・
それが夫に死に別れ遺体も上がらずどこか区切りがつかぬまま、次は弟と夫婦に・・・

でも本当に”はぅやん”は気性が良かったのでしょう。
せーたんも最初は厭がっていましたがその内仲の良い夫婦となっていきます。
その頃私の母が誕生しています。
特に近くに住んでいた私の祖母は、女同士何くれと母屋に出入りしては はぅやんに優しかったと聞いています。
小さき頃は長男の遺児を自分の家に連れ帰り、母などはいつも兄弟の様に育ったといっておりました。

穏やかな15年ほどが続きます。
子供たちは成長してどんどん逞しくなって参ります。

一番上と下が女、間3人が男でございます。
この男3人が血気盛ん、日本の将来をうれいて志願して兵隊に行きますぅ。。

           止せばよいのに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  長男 陸戦隊 志願兵 (先夫の子)
  次男 海軍  志願兵 (先夫の子)
  三男 陸戦隊 志願兵

  長男、次男  戦死
  三男     無事帰還 信じる物が壊れ怠惰な生活を送るようになる

この二人の戦死について少し書かせて下さい。
このルーツを書き残そうと思ったのはそもそもこの戦死があったからです。
私の実家にはこの長男(正治)と私の生後半年の写真があります。
昔で言う小豆色の別珍の服と帽子をかぶった私のかわいい写真です (;^_^A アセアセ

正治は志願して兵隊となり大阪におりました。
母は結婚して大阪に住んでいたので正治は休みになると訪ねて一緒に過ごしています。
特に私の誕生からは頻繁で、私への愛情は深かったと言います。

「この子が嫁に行くまで生きてるかなぁ~」 ほおずりをしながら。。。。

結婚もしていない志願兵の正治は私との写真をもって外地(中国)に。。

昭和15年はまだ戦争は外地であり国内はまだ生活にゆとりがあったようです。
母は近くの映画館に行っております。
その当時、映画の前にニュース映画が上映されていました。

   ”ちゃんちゃ ちゃちゃ ちゃんちゃ ちゃちゃ ちゃんちゃ ちゃっちゃ”♪~

え? 何かわからん? 軍艦マーチですがなぁ~
大本営発表・・ ちゃうなぁ これはラジオですわ。
ほんまのとこ あまり知りません。 私は14年生まれ戦争の事あまりしりましぇーーん。

その映画館で正治の戦死の墓標が写ります。
まだ戦死が珍しい時で広陵たる中国の原野に正治の名を書いた白木の墓標が。。
母は涙がこぼれ・・・その時の話しを何度も私にしております。
必ず中国に行くことがあれば花束を・・・こう言われております。

彼は若くして独身で日本の将来を憂いながら私との写真を胸に中国大陸に散っております。
戦死が珍しい時代、町あげての葬式、天皇陛下様から菊の御紋入りの煙草が下賜されたそうでございます。

(いい加減にしとけ! 煙草もらっただけで何がありがたいのや 命返してくれ~!!)

次男は海軍で外地に赴任する途中、船と共に海に眠っております。

戦争は悲しいです。知らない物同士殺し合わなければなりません。
命はかけがえの無いもの、残された家族の運命をも、根底からひっくり返します。
人それぞれに家族があり、悲しむ人があり、その悲しみは忘れる事はありません。
何故、人同士、友達になればわかりあえるものを。。。。

               次回は三男の事です
               彼の死によってこの家の跡継ぎは途絶えます。
               これを書くことを反対されるかもしれません
               でも書き残します。削除はいつでもできますから。。

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ルーツ6

あれれ? もうルーツも6になってるぅ
3位で終わる予定だったのに・・・すんまへん。。
礼子様 拙い文章をいつも読んで頂いて・・それに3で終わるといっていたのに。。。
すんまへん。もうちょいお付き合いを・・

船の話しでしたなぁ~

いつもなら昼までに帰るのにその日は子供たちが昼食を食べる頃になっても帰りません。
こんな事は初めてですが、まだ遅いよぅ~だけで大きな心配になっておりません。
それが2時、3時と時間経過と共に心配が大きくなり、親戚が集まりはじめ
午後4時になると、船を出して探しはじめる人もあって、帰らぬ騒ぎは大きくなります。

陽が西に沈み、海が月にきらきら光る頃になっても長男は戻りませんでした。
翌日から本格的な捜査が始まり、漁師達も一緒になって捜索の船をだしました。

見つかりません・・・・・・・・・・・

三日目、漂う船は見つかりましたが主は蛻の殻。
それから半月、船を出して主を捜しましたが見つからず、遺体上がらずじまいで葬式をだします。

季節により潮の流れが違います。
いつどの辺りに流れ着くか漁師達はよく知っています。でも遺体は上がらずじまい・・・

今から5年前にも私の知人が不幸な事に釣りで亡くなりました。
一生懸命釣っていて、船の中で立ったりします。
これが危ないのです。バランスを失って、その彼も船から落ち帰らぬ人となりましたが
一人で釣りをするときはどんな時でも十分な注意を払って安全な立ち振る舞いをして欲しいと思います。

長男の遺体は上がらず終い、普段来ていた着物での葬式になりました。
そして
3人の子持ちとなった嫁は若くして後家になったのでございます。
悲しみの内に時間が流れます。

一周忌がきました。
年忌がすむと親戚中があつまり今後どうするか、の話し合いがもたれました。

残された子供たちはまだ小さく働き手になるにはあと、20年はかかります。
と言っても父親はもう年老いてきて一人前の働き手では無くなっております。

それに嫁・・・若くして後家になりそのままここに置いておくのがよいかどうか・・
色んな意見がでました。

はっきりしたのは、嫁が子供を置いて実家に帰るのはいや、と泣いたこと。
このままどんな苦労でもいとわないから子供たちと一緒にここに置いて欲しい、と泣いたこと

これだけははっきりしていて他のことはきまりません。
そんな中、今なら考えられない意見が出されます。。。。。。。。。。

貴方なら・・どうしますか? どう思いますか?

その意見は 4男を長男として兄嫁と結婚させる と言うのです。
4男にとっては5歳も年上、まして3人の子持ち、今まで兄嫁と呼んでいた人です。
承知できますか?  貴方なら・・・・・

説得が始まります。どれだけどうしたか、後で聞いた話しでよくわかりませんが
4男は非常に厭がって抵抗したと聞いています。
兄嫁の方は子供と一緒ならどんな事でもと言った手前、皆にまかせます。

この話しは結局、家とか義理とか人情とかで4男が承知して兄嫁と夫婦になります。
今なら人権蹂躙も甚だしい事柄ですが、
その時代、家が大切な時代にはよくあった話しだそうでございます。

この夫婦は長く睦まじく夫婦として暮らしました。
名は4男は”せーたん ”嫁は”はぅやん” と言います。
二人の間には 男、女 の子供に恵まれ合計5人の子沢山になります。

                  次はこの子供たちの話しです。

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ルーツ5

二日目の夜も更け屋敷中は暗い空気に包まれています。
朝になると疲れ切った人達が帰りはじめます。。
遠い親戚から・・疲れた長老から・・日頃あまり親しく出入りしない親戚から・・

   「まぁ 後、頼んどかよぅ~」
(こうなりゃ、無責任なものでございます。この一言を言って帰ってしまいました)

三日目、居残った人達は恨めしげに長男を見るだけで誰も口も効かなくなります。

その日の夕、長男は母に呼ばれます。 母はあの騒動の時、倒れそのまま寝付いています。
枕元に座った息子を見て母親は涙を流します。
差し伸べた手を握り長男は初めて大声をだして泣き崩れたそうでございます。

母はその頭をなでながら
  「辛抱しなぁ~ 嫁が可哀想じゃぁ 辛抱しなぁ~」

これだけです。  
  母は強いですなぁ~ これだけで息子を納得させたのでございます。
大声をだして泣いた長男は母の側を離れると、食事を取り風呂に入り初夜の離れに入ります。

     例の如し    時間経過です。。。。。


朝まで離れで過ごします。それを見届けた親戚は「よかった、よかった」と
疲れ切った体でやっと家路につきました。

それから5年の歳月が流れます。(どんどん  膝を叩いて時間の経過を表現
                         字で表すのは難しいですわ~)

やはり嫁の優しさ、人柄の良さでしょうか。
長男は深酒することもなく、一生懸命働き、続けて3人の子をもうけます。
上が長女、長男、次男です。

その間に次男の私の祖父は、やはり伝統なのでしょうか(笑) 祖母を見染め結婚しております。
落ちぶれた家柄の良い美人の誉れ高い祖母を見染めますが家が近かったからでしょう
妹がいましたが間違う事無く結婚して近くで新家を構えています。

そうそう 不幸なこともございました。
4男が病死しています。 何の病かは効いていませんが病死です。
これがその後の5年間の出来事です。

話しはこれで終わると目出度し目出度しですが・・・・
5年たった時、子供3人を入れ、家族は8人、その内男子が5人
その内訳でございますが、父親、長男、三男、長男の息子二人です。
その家が男子の跡継ぎがなくなるまで 不幸が続きます。  

以前もお話しましたが農家と言っても海と山と川の自然豊かな土地
つり船ももち、河口では海苔の養殖もしており、山畑では芋や小豆、胡麻を栽培していました。
嫁入りの騒動など忘れ穏やかな夫婦として仲の良い日を重ねていたある日・・・・・・・・・・・

         突然不幸が・・・・・・・・・・・・・・・・

その日は凪の穏やかな日和でした。

こんな日、農作業の暇を見つけて釣り船をだします。さえ(おかず)をとりにいきます。
殆どが、いや全部と言って良いでしょう、自給自足です。
肉類は卵を産まなくなった鳥を、何か行事があればつぶし、普段は魚をとって食べていました。、
朝暗いうちから漁に出ます。釣りというものは面白いものでございます。
やはり魚が朝ご飯を食べに来るところを餌で釣るのです。
餌は小エビ・・まぁエビでタイをつるのですなぁ~
昔からよう言いますやろ。エビでタイをつるって・・これは、、、、

おっと又、横道にそれるところでした。釣りの事は又改めて書きますわ。

                  ちょっとお茶

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